2019年05月01日

54年前に生で観た芸人さん、その4

時代が令和になって、皆さん未来に向かっている時なのに、またまた昭和の話です。

54年前、私は中学2年生。
先日のブログで「なんば花月」の話をしましたが、その少し前に「初めて行った寄席」があったのです。
それは「神戸松竹座」
今は勿論なくなっていますが、当時はまだ賑やかだった新開地にありました。
私とはめったに二人で行動しなかった父が「無料券をもらったので」と、二人で行くことに。

「神戸松竹座」は、松竹芸能の寄席小屋です。
トリには「フラワーショー」さん、モタレには「柳次柳太」さん、そして「三人奴」さん等のメンバーでしたが、何故かトップ出番出番だった「横山ホットブラザーズ」さんに私は魅了されてしまいました。
当時は、お父さんの東六師匠もお元気で、思い出したように舞台に小道具を持って現れ、散々笑いを誘ったあげくに「お邪魔しました」と、ハケられます。

後にお聞きした話ですが「うちの親父は発明家で、夜中でも何か閃くと起きだして小道具作りをしていた」とか。

音楽ショーといえば、大阪は東京に比べて音楽性が低かったのですが、ホットさんの音楽性にはビックリさせられました。

ところで「横山ホットブラザーズ」の「横山」は本名であり、「横山エンタツ」「横山ノック」「横山やすし」の「横山一門」とは無関係です。

「東六」師匠は元バンドマンで、デパート勤めをしていて何の芸もなかった奥さんと二人で舞台に立たれました。
師匠は楽器を弾き、口でクラリネットを加えて、奥さんが指でクラリネットの操作をするという二人芸から始まったそうです。

そうそう。その「横山」の屋号の発端ですが、「エンタツ」さんが三田出身であり、三田に「横山」という地があるので、それを屋号にしたとか。
そんな山が三田にはあるのか・・・と、ずっと私は思っていて、いったいどんな山なんだろうかと。
ところが先日、その「横山」に偶然行ってしまったのです。
三田に用があった私は道に迷い、入り込んでしまった場所が「横山」という住宅街だったのです。
「ええ?この場所が、あの横山屋号の原点?」

私は暫くその場に立ち尽くして、亡き師匠方のことを思い浮かべました。
「オマエに横山の屋号をやる」と言ってくださった「やすし」師匠。
その師匠であり、お隣りに住んでおられた「ノック」先生。
そしてお逢いできなったのですが、「エンタツ」さん。

上方漫才の原点ともいうべき土地に思わず迷い込んだ私は、感無量でした。


posted by hagiwarayoshiki at 21:43| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
松竹は今や歌舞伎ばかりに力を入れて漫才や新喜劇は二の次で残念です 先日、藤山直美さんの舞台観劇に行ったら、いま寛大さん体調不良で降板されていました 早く元気になられるように祈っております 復帰までちょっと待ってます
Posted by グィード☆ at 2019年05月27日 23:22
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