2017年09月06日

小さな島のマラソン大会、その3

さて、いよいよ島探し。
まずはしまなみ海道の生口島からフェリーですぐの岩城島へ。
役場の人に案内していただいたのだが、この島の柑橘類の研究は素晴らしいものがあった。
常に新しい柑橘類を作ろうと研究され、島の名物は「青いレモン」
中央にそびえる山の頂上からパラグライダーができ、瀬戸内海を上空から楽しめるので人気らしい。
とにかく明るいイメージの島で、私は大好きになった。

続いて行ったのが「魚島」
しまなみ海道からは遠く離れた孤島である。
だから時代から取り残されたかというと決してそうでもない。
島の小学校に行くと、生徒たちは外国の小学校と常に交信していた。
それに水を供給する為、海水を生活水に替える大きなタンクがあった。
島の人達は素朴であり、好感を持てる方ばかり。
ただマラソン大会となると、島の道はアップダウンがきつすぎた。

そして、もう一つの候補「百島」へ。
尾道港から船で25分。
その船が実に面白い。
桟橋から次から次へと自転車に乗った人が船に乗り込んで来る。
小さな船でフェリーではないが、甲板にその自転車を置いて階下の船室に入って行く。
「自転車フェリー船」か?

船が港に着くと、陽気な老人が待ち受けていた。
百島には三つの村があり、その代表する区長さんらしい。
早速島を案内してもらった。

この百島は周囲12キロ。人口は500人余りとか。
勿論、旅館などはなく、島には小さな雑貨屋が一軒あるのみ。
その店を訪ねると、老人たちが集っていた。
聞けば、この島の住民の殆どが老人であるらしい。

「毎年、正月とお盆はこの島も人であふれて島が沈みそうになる」と、区長さんは嬉しそうに語った。
「どれだけ沈むのですか?」
そう私が聞くと、
「そうよなぁ。2センチは沈む」と。
ふざけた区長だ。

島を散策していると、廃屋となった映画館があったので入ってみることにした。
「百島東映」という立派な看板だけが残っていた。
中に入ると、勿論客席の椅子などもなく、ほこりっぽい廃屋そのもの。
でも、当時のポスターがまだ壁に貼られていた。
石原裕次郎や美空ひばり、三船敏郎等々。
おそらく昭和30年代、もしくは昭和40年代に廃業されたままになっているのだろう。

時が止まったまま、時代に取り残された島・・・。
私は、この百島でマラソン大会を開催できないものかと夢を描いた。


posted by hagiwarayoshiki at 00:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: