2017年06月13日

ジャマイカの歌

夜。ブルーマウンテンの山上で野外パーティを開催した。
真っ暗な山中から次々と昼間労働していた人達が集まってくる。
彼等は「夜目」が凄いらしく、暗闇でも遠くの人間と「ヤァ、オマエも来たのか」と話をする。
暗闇で50メートル先の相手の顔もわかるらしい。
おそらく視力は4〜5辺りかもしれない。

バイキング形式で音楽はボリュームいっぱいにする。
彼等は空腹を満たそうと料理をむさぼるが、常に体はスイングしていた。
口いっぱいに食べ物を詰め込んでは踊る、踊る。
私も彼等と一緒になって踊った。

翌日からは、もう一本の「レゲエ音楽のルーツを探る」ロケである。
ボブマーリーとメンバーだった「ウェイラーズ」の「スライ」と「ロビー」に会うことができた。
ジミークリフの自宅にも行った。

色んな方からお話が聞けて、そのルーツがぼんやりながら見えてきた。
レゲエ音楽のルーツは「カリプソ」と呼ばれる音楽である。
有名な曲は「バナナボート」
日本でも「ゴールデンハーフ」が歌ったりして知っていたが、原曲の歌詞は知らなかった。
「バナナボート」は労働歌である。
船の荷下ろし作業する時なんかに歌われたようだ。
歌詞の中には、こんな内容が〜
「♪今年はハリケーンでバナナの木がやられちまったよ。俺たちは何を食べたらいいんだい」
歌詞の内容は切ないのに、リズミカルなサウンド。
そういえば昨夜のパーティーでも「バナナボート」がよくかかっていた。
彼等は悲しい詩でも陽気に歌い、踊る・・・これは何故なのだろうか。

ここからは我々取材班の推測になるが・・・。
その昔、遠くアフリカから奴隷として連れて来られた人々は、連日過酷な労働をさせられ、尚且つ人としての欲望を全て奪われた。
この先、生きていたところで何の楽しみも娯楽もない。きつい労働の末、死を迎えるだけだ。

奴隷暮らしから逃げ出す人もいたようだ。
彼等は山に逃げ込んだ。
(その子孫がブルーマウンテンの山中に暮らす人とも考えられるが)
実際のところ、ブルーマウンテンの山中に暮らす人の家は不思議であった。
谷を挟んで見えた筈の家が、いざそちらにまわると見当たらないのである。
山の傾斜がきついので、そうなる訳だが、奴隷暮らしを脱出した人たちの知恵といえばそういうことになる。

でも逃げ出さない奴隷の人達はどうだったのか・・・。
我々の推測ですが、「彼等は歌った」のです。
奴隷といえども、僅かの食事はいただける。
この時こそ彼等にとって何よりの楽しみなひととき。
傍にある食器やテーブルを叩いて歌ったのです。
歌詞の内容は思いつくまま。
「♪ああ、お腹が空いた、腹ペコだよ」
こんなことを勝手に歌ったのかもしれません。

中南米では、やたらパーカッションが盛んですが、音階のない道具を叩いて歌う行為の原点はひょっとしたらこんなところにあったのかもと思った訳です。

ジャマイカの取材は私に様々なことを教えてくれました。
長沢さんに見た「優しさ」「思いやり」
差別という人でなしの悲しさ。
でも、どのような悲惨な状況に追い詰められても、「明るく生きようとする力」

娯楽・・・特に音楽は生きる原動力として不可欠な存在であることを悟りました。


posted by hagiwarayoshiki at 22:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジャマイカの人々

さて、ジャマイカの首都キングストンに到着して、UCCコーヒー園の責任者の方と会うことに。
長沢さんといって実に気さくな方で、すぐに打ち解けた。

まずは打ち合わせがてらに新婚お二人のいきさつからお聞きしたが、これが驚きだった。
長沢さんは単身でジャマイカのコーヒー園に赴任して、奥さんとは「見合い結婚」だとか。
日本での僅かの滞在期間に見合いをされ、奥さんは英語がペラペラの方であり、海外生活に憧れていらっしゃったので、すぐ話はとんとん拍子に。

そして次の帰国の時に結婚式をされ、そのままハワイを経由(新婚旅行?)してジャマイカへ。
しかし、奥さんは困惑されたようだ。
長沢さんから見せられたジャマイカの写真は、リゾートのリッチなものばかり。
いざキングストンの暮らしを始めてみると全く違う周囲一帯貧困の中での生活。
それに、自慢の英語が通じない。
ジャマイカの英語は「スラング」でできた言葉が多いので通常の英語では無理だったようだ。
というのも、その昔奴隷社会の頃、アフリカから連れて来られた人達が現地語で会話することを禁止したらしい。
奴隷の彼等が何を話しているか、監視している連中にわかるように英語を教えて喋らせたようだ。
でも、彼等は監視員にバレない会話をする為に、独自の「スラング」を形成させたという。

長沢さんの車で、いざブルーマウンテンのコーヒー園へと向かった。
山上に位置する事務所は、元総督邸で立派な御殿のような建物であった。
UCCさんが所有する前は、あの「ミックジャガー」のものだったらしい。

「ちょうど今は、豆の摘み取り作業の時期なので、早速ご覧になりますか?」
長沢さんに案内してもらってコーヒー園へと向かう。
長沢さんは大きなビニール袋にパンをかなり詰め込んでおられた。
「何十個ものパンを、どうするのだろうか」私は不思議だったが何も聞かなかった。

きつい傾斜の中で作業している人達がいた。
「みな近くに住んでいる人達なのですよ」と長沢さん。
どうやらブルーマウンテンの山中に暮らしている人達が、季節労働者としてコーヒー園で働いているらしい。
「どうだい?家族はみな元気かい?」
「ああ、長沢。いつも有難う!」
笑顔でそんな会話をされていた。(通訳を介して知ったことだが)

長沢さんは袋からパンを出して、作業している人に手渡した。
「これを食べな。腹も減るだろう」
「有難うよ、いつも」
作業している黒人の男は嬉しそうにパンを受け取った。

「萩原さん、見ててください。あいつは渡したパンを決して食べないですから」
そう言われて見ていると、食べずにパンをポケットに入れた。
「あいつは、あのパンを家に持って帰って腹を空かしている女房や子供にやるつもりなんですよ」と。

長沢さんは、パンを更に何個もその男に手渡した。
「オマエも腹減ってるだろうが」
男は凄く嬉しそうに受け取った。

季節労働者とはいえ、彼等の暮らしを熟知して気配りをする長沢さんに頭が下がった。

「長沢さんの車は面白いのですよ。普通自動車なのに10人以上乗ったりすることもあるのですよ」
通訳を兼ねている大使館の奥さんの話によると〜
ブルーマウンテンの山中に暮らす人たちは勿論貧しくて車など持ってはいない。
下の町キングストンに出かけて帰る時は、何時間も山道を歩く。
それを見かねた長沢さんは「乗って行きな」と声をかけて車に乗せるが、その数が多すぎて窓から人の手足が出る程までの状況になってしまうこともよくあるらしい。

その夜、彼等を招待して野外パーティをすることにした。
ここでまた衝撃が待ち受けていた。

また続編にて・・・。




posted by hagiwarayoshiki at 00:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする