2016年10月07日

追悼。井上竜夫さま

井上竜夫さんが亡くなったことを今日知って驚いた。
新喜劇の台本を書くことを辞めてから何年も経つので、全く情報が入ってこなかった。

私と井上竜夫さんとは妙な関係であった。
私が中学2年の時、大阪の友達と「なんば花月」に行き、その舞台で拝見したのが始まりだった。
当時の花月では、新喜劇の若手達が出演するコントの出し物があった。
そのコントで大ボケ役を演じていた井上さんのファンになった。
しかし、本体の新喜劇ではギャグもボケもない役ばかり。

私は手紙を出すことにした。その内容とは「何故、新喜劇でボケないのですか?井上さんのボケっぷりが大好きです」という、今なら多いネットでお笑い評をやっているバカ同然のもの。

すぐに返事のお手紙が届いた。まさか返事をいただけるとは思ってなかったので驚いた。
「新喜劇はコントとは違い、お芝居です。芝居には役に徹して芝居を締める役割の人間も必要なのです。みんなが勝手にボケまくると芝居は壊れてしまいます」
そんなお返事をいただいた。
が、バカな私はまたしても手紙を書いた。
「昨日テレビで拝見した新喜劇ですが、あの場面ではこんなボケもできたのでは」といった実に生意気な内容。

またすぐに返事が届いた。
同じように「私が勝手にボケたら芝居は壊れるのです」と。

そんなやり取りが何度も繰り返された。
考えてみたら文通しているようなものだった。

それから何年か経ち、私は花月の舞台に立つ漫才師となった。(19歳)
出番前に舞台の袖に座っていると、隣りに井上さんが座ってきた。
「井上さん、姫路の萩原という中学生を覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、よう手紙くれてた変わった子やったな。君、萩原君の友達なんか?」
「いえ、実は僕その萩原なんです」
井上さんは目が点になり「そうか、芸人になったのかいな」と。

それからというもの、出番の劇場が一緒になると「萩原くん、お茶行こう」とよく誘ってもらった。

30代になり、私は活動場所を東京から大阪に移し、新喜劇の台本を書くことになった。
因縁の井上さんのセリフも当然書く。
そのペンはいつも熱かったように思う。

もう誰に頼まれようが井上竜夫さんのセリフを書くことは今後二度とないと思うと辛い。

ー合掌ー
posted by hagiwarayoshiki at 23:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

久しぶりの晴れ間

もう何日ぶりになるだろうか。
今日は久しぶりの晴れ間。
東六甲展望台にも車が戻ってきた。
何よりも「こんなに常連のお客様がいてくださったのか」と驚くほど次々と常連のお客様が来てくださった。
有り難い!
お陰で自分の昼食をとるタイミングを逃してしまった。
常連のお客様とは、お食事の後に楽しい会話のひとときがあるので仕方がない。

常連のお客様が何組も来られると、どのお客様と会話すれば良いのか戸惑ってしまう。
スナックバーのカウンター譲の気持ちがよくわかる。

こんなに常連のお客様が今日来られたということは、明日はないのかなぁ。
ちょっと寂しい。
寂しいといえば、渡り鳥の鷹たちも「サシバ」や「ハチクマ」は、もう南の空へと飛んで行ったようだ。
あとは「ノスリ」という国内で移動している鷹の姿を見られるだけらしい。
うん?・・・いつの間にか鷹の習性に詳しくなってしまったようだ。

これも常連のお客様のお陰。
感謝!感謝!


posted by hagiwarayoshiki at 00:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする