2016年09月03日

道の足跡

MIOROSのある「芦有ドライブウェイ」が今年で55周年を迎えるらしい。
55年前といえば、東京オリンピックを3年後に控えて、この国に高速道路という存在すらなかった時代である。
名神高速道路の開通が昭和38年。その二年前の昭和36年に「芦有ドライブウェイ」は開通した。
野球界では長嶋茂雄と王貞治が新人として活躍し、チキンラーメンが初めて世に出て間がない頃だ。

この道路は国や公共事業が行った訳ではない。
有馬温泉の旅館のオーナーが私財を投資して開通させたという珍しい話である。

「有馬温泉のアクセスを良くするには、六甲山にトンネルを堀り近道を造るのだ!」
全く無謀な計画だと思われた。
勿論その時代に六甲山にトンネルなどある訳がない。
六甲山トンネルができたのは、それからずっと後のこと。

六甲山系は地盤が弱いため工事もかなり難航したようである。
災害で何十人もの犠牲者もでたようだ。

今日、MIOROSの常連のお客様である元ゼネコン大手の重役さんにこの話をすると、日本の道路開発の裏話をいっぱい聞かせてもらった。

面白いから調べている「芦有ドライブウェイ誕生物語」
また続編をブログでお伝えします。
IMG_2685.JPGIMG_2685.JPG
当時のトンネル工事の写真です。


posted by hagiwarayoshiki at 00:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする