2019年10月24日

徳井氏はいい奴すぎる

世間を騒がせている「徳井氏の問題」
正直、驚いた。
私は彼とは少しばかりだが付き合いがあった。
レギュラー番組の打ち上げの席でのこと。
私は酔っぱらって、自分勝手なことをスタッフ相手に語っていた。
すぐ傍に彼がいた。
彼は黙って私の話に耳を傾けていた。
「謙虚な売れっ子さんだなぁ」
それが私の印象だった。
芸人たるもの、いざ売れると自己中心的となり「お前らの話よりも、俺の話を聞け」が当然だったからだ。

「チュートリアル」を初めて観たのは「M-1グランプリ」の第一回大会。
私は予選全ての審査を任され、準決勝の審査会で決勝進出コンビを決定する時のことだった。
審査員の得点合計では、彼等は決勝進出組だった。
しかし「無名な若手を選んで視聴率は稼げませんよ。彼等は来年もあることだし」と、大会側からストップがかかった。
でも、私は強引に「一千万の賞金がかかっているのですよ。今面白いコンビが例え無名であっても決勝進出させるべきです」と、突っ張った。
結果、その年は敗退して、後にグランプリに輝いたのだが。

その後、私は陰から彼等を応援し続けた。
というか、そんなことしかできなかった。
彼は誠実で検挙な芸人さんだと思い、陰ながら応援した。
ところが今回の問題。
彼は会見でいっさい税理士にかんしては悪いように言っていない。
でも、私が思うには全てが税理士の責任だ。
税理士報酬は毎月払うもの。
当然ながら税理士は常に管理する責任がある。
「どうなっていますか?申告時期ですよ」と、吞気なことを言う税理士は最低である。
毎月の収支を常に管理する為にお金をもらっている訳だから。

私も以前に芸人さんが多く利用されている税理士事務所に依頼していたことがあった。
が、ヨイショばかりして、結果として税務署が乗り込んで来た日に「真っ赤なベンツ」を家の前に止めたので呆れたことがあった。

「徳井さん、そんな税理士を庇うことはないですよ」
と、この出来事に関しては言いたい。

posted by hagiwarayoshiki at 21:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月29日

冗談

私は昔から、日頃に冗談を言わない男だった。
お笑い作家のクセして「冗談を言わないとは?」と思われるかも知れないが、長年そうやって生きてきた。

「笑いを追求する」という作業は常に苦悩の毎日であり、自分自身が笑うことはない。
万人に笑ってもらえることを追求する日々だった。

でも、ペンを取り上げられたというか、すっかりお笑いの台本の受注が減り、全く違う業種の仕事を始めた。
そこで困ったことに。
仕事場で冗談が常に飛び交うのだ。

冗談は奥が深い。
苦しい日常の潤滑油にもなる冗談。
仕事場や家庭で、それが満たされなかった場合、テレビなどの冗談に頼ることになる。
「嗚呼、私が長年やってきた作業はこんなことだったのか」
と、改めて感じる訳です。
posted by hagiwarayoshiki at 22:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月15日

黒い誘惑U

「入ってええぞ」
その声に私は廊下で待機していた芸者さんと大広間へ。

そこは任侠映画で観たような光景だった。
「コの字」型に席が設けられ、真ん中の偉そうな着物姿の人を挟んで、左右にそれぞれ数十人の組員が座っていた。
私を呼んだ親分は片方の一番上席に。
どうやら組の抗争があり、仲介を立てての「手打ち」だと察した。
全員の顔が緊張でひきつっていた。

「おい、芸人。まずは何か芸をやれ」
真ん中の仲介人らしき人が命じてきた。
「ええっ!友人として参加じゃなかったの?」
そう思ったが口に出せる訳はない。
三味線の人がスタンバイしていたので、取り敢えず「歌ネタ」をやることにした。
「お姉さん、山本リンダの狙い打ち、弾けますか?」
そう言うと、キョトンとした顔。
そりゃそうだろう。三味線の人が旬の歌を弾ける筈がない。

仕方なく私は無伴奏で「狙い打ち」を踊りながら歌った。
これは当時の私の十八番であり、どこでも大爆笑の自信があった。
ところが・・・。
全くうけない・・・どころか、全員の顔がひきつったまま私を見ていた。
後で思うに、組の抗争を収める「手打ち」で「狙い打ち」は完全に選曲ミスだと。

全くシラケた状態で終わったのだが、
「まぁ、こっちに座って一緒に飲もう」
私は招待された組長の隣りに座らせてもらった。
そうして、ものの10分もした頃、
「すみませんが、次の仕事があるので、この辺で失礼させていただきます」
そう告げると、
「忙しいのに、すまなんだな。オマエら、お見送りを」

旅館の前には、すでにタクシーが止まっていて、組員全員がズラリと並んでお見送りを。
「おおきにな。これは車代や」
と、親分が封筒を手渡してくれた。
組員が頭を下げるのを尻目に、封筒の中を見ると10万円入っていた。
咄嗟に思った。「貰いすぎや。これで切れない縁になるっちゅうことなんか」

その後、その親分は確かに何度か「花月」の楽屋に訪ねて来られたが、私は丁寧にご挨拶するだけの仲で通した。
「今夜、どうや?」と誘われれば必ず断る。
結局、その数ヶ月後に私は上京してしまったので、その後の付き合いはなくなった訳だが。

今思えば、あれから大阪にいたらどうなっていたのかとも思う次第です。




posted by hagiwarayoshiki at 21:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする