2019年04月21日

54年前に生で観た芸人さん、その2

今から54年前、私が中学2年生の時に「生で観た芸人さん」
この年は数多くの芸人さんを生で観ることができましたが、一番衝撃的だったのが「やすしきよし」さんでした。

場所は「なんば花月」
姫路の中学生がどうして大阪の「なんば花月」まで行ったのかというと・・・。

私が初めて漫才らしきことを舞台で披露したのは中学1年生の時でした。
学年で行ったキャンプの夜。仲の良かった友人とアドリブで漫才もどきのことをやり、これが爆笑となり「人を笑わせるって、こんな快感なんだ」と感じました。
その友人とは、休み時間になると漫才のような掛け合いをするのが何よりもの楽しみでした。
ところが2年になると、その友人はお父さんの仕事の都合で大阪に引っ越し転校してしまったのです。
寂しくなった私は親に「彼が不登校になっているので友人として行ってあげないといけない」等とデタラメなことを言って彼に会いに行きました。

久しぶりに出会った二人が行くのは勿論「笑いの殿堂、花月」です。
そこでコンビ結成間もない「やすしきよし」さんの舞台を観たのです。
凄い衝撃でした。
「こんな面白い漫才があるんや!」と。

翌年の4月、「やすしきよし」さんはコンビ結成1年未満にもかかわらず「上方漫才大賞新人賞」に輝かれます。
そして8月、私は漫才台本片手に楽屋を訪ねて、その日から私の人生は変わってしまったのです。

この時の状況は昔のブログに詳しく書いてますので検索してみてください。

そして、19歳の時。
私はプロの漫才師として、憧れの「なんば花月」の舞台に立ちます。



posted by hagiwarayoshiki at 18:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月12日

今日は暇なので

今日は久しぶりに暇なので、ブログをもうひとつ。

お昼に明日の「上方漫才大賞」の司会者打ち合わせでNHKさんへ。
関西テレビのスタッフやOBCスタッフ、それに関さんや原田さんと合流して、生放送後のサブローさんと打ち合わせを。

連日、睡眠時間も気にする日々だっただけに、昼過ぎに時間が空いてしまうと、どうやって半日すごそうかと思う。
打ち合わせ場所がNHKの16階にあり、眼下の大阪城公園の桜が見事だったので散歩することにした。
外国人観光客が多いのに驚いた。
まるで日本じゃなかった。

大阪城は江戸時代に徳川によって再建築され、二度の落雷で天守閣は焼けてなくなった歴史がある。
秀吉時代こそ鉄壁の城であったが、江戸時代は何事もなかったようだが権威の象徴ともいえる天守閣がなくなった。
これは江戸時代、庶民の町であった大坂の人々の怒りが天に届いたのかもしれない。
そんなことを考えながら、外国人観光客がどれだけ大阪城を理解しているのかと思いつつ京橋へ。

久しぶりに京橋を歩いた。
一ヶ月公演をした元「京橋花月」辺りまで足を伸ばしてみた。
元京橋花月は今では大衆演劇の小屋になっている。
付近で馴染みだった店を探した。
どの店も今やなくなっていた。
お好み焼き屋さんや喫茶店、それに花屋さんまで。

いろんな過去を振り返りながら散歩するのは、空しくもあり、懐かしさがこみ上げて楽しくもある。

「萩原さんは、よく昔の話をなさいますけど、人生は現在と未来しかないのですよ」
最近そんなことをとある人から言われた。
確かに常に未来に向かって進んでいる人は凄いと思う。
でも人生でこれから先よりも過去の方がずっと長かった人はどうなのでしょうかねぇ。

せめてブログで昔の話をこれからも時間のある時には続けます。


posted by hagiwarayoshiki at 21:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

54年前に生で観た芸人さん。その1

今から54年前、私が生で観た芸人さんのお話です。
当時、私は姫路の中学2年生。
大阪まで行けば寄席はいくつもあったのですが、姫路で生の芸人さんを観ようとするなら地方公演しかありません。
父が国鉄(今のJR)に勤務していて、国鉄職員向けの地方公演があるというので、連れていってもらったのが初の生でのお笑い公演でした。
場所は姫路厚生会館。(今はもうなくなっていますが)
キャパ(観客席)が千五百席もあり、当時では驚く程大きな会場でした。

出しものは前半に漫才があり、メインは「ルーキー新一劇団」のコメディです。
その頃「ルーキー新一」さんは吉本新喜劇を脱退されて独立間もない時期だったと思います。
吉本新喜劇の座長時代はタイトルに「新一の・・・」が冠につく程の超人気者で私も一ファンでした。

コメディの内容は吉本新喜劇もどきでしたが、芝居前の漫才のトリ(ラスト)で「白羽大介」さんとの漫才が面白かったのを覚えています。
「名は人を表すというけど、その通りやな」
「そんなら僕のルーキー新一のルは?」
「ルンペンのル」
「ルーキーのキは?」
「キチガイのキ」
「そしたら間にある棒は?」
「貧乏のぼう」
「ええ加減にせえよ」
「怒らんかてええがな。新一の方は辛抱のしんと棒や」
「まぁそれなら良かったけどな」
「つまり君はルンペンでキチガイで貧乏でも辛抱強く生きてるゆう名前や」

白羽大介さんは一緒に吉本新喜劇を脱退された方で、この方のゆったりとしたツッコミが大好きでした。

それから3年後、高校2年生だった私はアマチュア漫才コンビとして、厚生会館の舞台に立つことに。
谷村新司さんがまだアマチュアバンド時代のフォークコンサートで何故か合間に漫才が挟まれていたのです。
司会はフォーククルセダーズの北山修さんでした。
余りにも大きな会場だったので、お客様の笑い声がかなり間があって返ってきたのを記憶しています。
アマチュアのくせして「笑い待ち」を経験しました。

「ルーキー新一」さんとは、B&Bの初舞台で楽屋をご一緒させていただいたのも不思議なご縁です。
名古屋の大須演芸場で十日間、弟子のように着替えを手伝わせてもらったりしていました。
憧れの方と初舞台で身近に接触させていただき光栄でした。

さて「笑い待ち」ですが、明日は「上方漫才大賞」の本番。
オリックス劇場という大きな会場なので、若手は経験のない「笑い待ち」と戦うことにもなります。
結果はどうなるやら・・・。


posted by hagiwarayoshiki at 17:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする